挨拶オジサンの悩み「気くばりのすすめ」編 | マネたま

挨拶オジサンの悩み「気くばりのすすめ」編

沈黙にベストセラー その6

2017/06/22
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「ろくに挨拶もできないのに、バイトの子に手だすなっつーの」

焼き鳥屋でハイボールを飲みながら、オジサンが愚痴をこぼします。目の前でため息をついている彼は「700年前から何も変わってないのか!」と言ったり「英語に強くなりたい」と思ったり、このコラムでもお馴染みになってきた、あのオジサン(編プロ社長・50歳)です。

21時ごろに電話で呼び出され、さすがに新しい仕事の話ではないだろうと予測はつきましたが、焼き鳥屋で飲んでいた社長は、これまでに見たことのないくらい機嫌が悪いのでした。聞けば、社員のタカハシさんがアルバイトの女の子にちょっかいを出しているそうで、その女の子というのはインドネシアからの留学生・ハヤナちゃんのこと。ハヤナちゃんが何度断ってもタカハシさんはデートに誘い続けていたようで、見るに見かねた社長が電話で注意をしたところ、タカハシさんから「辞めたい」とのメールが来たのだそうです。

「悪いやつじゃないんだよ。だから俺としては……」

食べ終わった串を入れる木製の筒を見つめながら喋っていた社長が言葉を区切って、こちらに顔を向け、私と社長の目がバッチリと合います。

「俺…としては…」

「はい……」

いつもと違って今日は積極的に目を見てくれる社長ですが、どうやら言葉が続かないようで、二人の間に沈黙が流れます。たしかにタカハシさんは悪い人じゃないですよね、と水を向けようと思ったら、社長が首を小さく振りながら「ダメだ」とつぶやきました。

「目を見て話さなきゃと思うと、目を見続けるので精一杯になっちまうな」

やはり、目を合わせることを意識していたようです。

「ハヤナにさ、言われてるのよ、目を見て話して欲しいって。でも、日本語で会話してても今みたいに言葉につまるのに、英語で目を見ながら話すなんて不可能だよな」

再び串入れを見つめながら、社長がハイボールをすすります。もともと奥手で、シャイな社長が「変わりたい」と思って努力をしているわけです。英語に強くなりたいし、もっと目を見て会話ができるようになりたい。そう社長に思わせる力がハヤナちゃんにはあるようです。

「相手が話をしてる時に目をしっかり見てれば、自分が喋るときは目線はずしても良い気がしますよ」

「わかるよ。ハヤナも、その感じがすごく上手いんだよ。どうやってんのアレ」

「いい本がありますよ」

人が二人、向き合って話をしていたとする。このとき室内なら相手との目と目の距離は一メートルから二メートル半くらいである。この場合、相手のどこをみていたらいいかというと、相手の両肩から外側それぞれ十センチのところに引いたタテの線と、頭の上五センチに引いたヨコの線、そして胸に引いたヨコの線のこの四角の中、ちょうど、テレビのブラウン缶の枠の中を見ている範囲、そして後ろは相手の背中までの距離。この中にあなたの視線がある限り、相手には失礼ではない。
(鈴木健二『気くばりのすすめ』講談社、1982年、112−113項)

iPadを手渡して、NHKの現役アナウンサーによって書かれた1982年の大ベストセラーを読んでもらいました。高度経済成長により、変わっていく日本社会のなかで「気くばり」の大切さを説いたこの本に、会話の最中にどこを見ればいいのか書いてあるのです。

「えーっと、両肩から外に十センチ、頭の上五センチ、で、胸のあたりにヨコの線と」

社長が指先で空を切るように、自分の周りに四角の線を引きました。

「証明写真くらいのエリアですね」

「けっこう広いな」

「相手に失礼じゃない範囲がそれくらいで、顔を見て話してる感を出すにはもう少し範囲が狭くなるみたいです」

したがって、話をしているときも、相手をみつめる必要はなく、目と目の間をレンズの中心とすると、だいたい口から頭の上、そして顔の両側までの範囲をみていれば、相手は自分の顔をよくみてくれているな、という感じを持つのである。
(同、113−114項)

「なるほどね。ちょっと試していい? 右頬あたり見ながら喋ってみるね」

と社長が喋り出したタイミングで、私が注文した串がやってきました。が、よく見ると、その中に注文していない〈ピーマンの肉詰め〉や〈つくね〉が入っているのでした。店員さんに確認すると手違いだったようで、彼は「すいませーん!」と言って皿を下げようとします。すかさず、いいですよ食べちゃうんで、と言うと彼は「ホントすいませーん!」と笑顔で去っていきました。

「なってないな……。『すいません』じゃなくて……」

「『すみません』ですか?」

「そう!」

社長が頑張って、私の右頬を見つめながら喋ってくれています。

「タカハシもさ、『すいません』って言うわけ。だから注意したことあるんだけど、あいつ直さねえんだよ」

「え、なんでですか?」

「まあ、俺が、なんで『すみません』なのか説明できなかったんだけど」

「であれば、このへん読んで欲しいですね」

社長にiPadを渡します。

また、最近誤解されていると思われるのが「すみません」という言葉である。何もそんなにあやまらなくてもいいじゃないか——という人がいる。だが、この「すみません」は別にあやまっているわけではないのだ。
もともとは“澄”という字からきており、
「私の心はいままで澄んでおりましたのに、あなたにこのようなことをしていただいてかき乱されております。どのようにお礼をしたら、もとのように澄むでしょうか」
という意味である。
(同、170項)

「へえ、もともとは恩を感じた時の表現なのか」

「おもしろいですよね。あの、せっかくなんで〈ピーマンの肉詰め〉から食べちゃっていいですかね?」

社長とバッチリ目が合って、どうぞ、という感じで彼が頷いてくれます。

「いただきます」

そう言って軽く頭をさげ、ほくほくの串を頬ばると、社長が急に興奮しました。

「あ! それそれ! 『いただきます』で俺たち頭さげるじゃん? なんで? ハヤナに訊かれて答えられなくてさ!」

口の中がピーマンの肉詰めでいっぱいで喋れず、iPadの別のページを表示させました。

食事のときに日本人は「いただきます」という。これは「頂戴する」ということである。
この“頂”は山のてっぺん、頂きのことである。また“戴”はのせることである。つまり昔から日本人は、人様から何かもらうと、それを頭の上に捧げ持った。それがいただきますなのである。だが、相手から頂戴する物がすべて、頭の上まで上げられる軽いものとは限らない。机をもらったら、頭の上にさし上げるわけにはいかない。そういうときは自分で頭を下げて、くださった方やいただいた物に感謝をしてきた。これが“おじぎ”である。
(同、168−169項)

「ぜんぜん知らなかった。“おじぎ”って、トンチがきいてるのな。で、これを英語でどう言えばいいの?」

社長が本当に、英語に積極的になっていることに胸を打たれました。おじぎを説明するための英文を伝えると、スマホにメモを取り出したのです。いつのまにか社長の機嫌も良くなっていて、そのあと一時間ほど飲みました。

「ごちそうさまでした」

店を出て、社長に感謝します。すると社長は待ち構えていたように笑顔になりました。

「サンキュー・フォー・ランニング・アラウンド・フォー・ディス・ビューティフル・ディナー」

社長が嬉しそうに、スマホにメモった英文を読み上げます。ハヤナちゃんに「ごちそうさま」の意味を訊かれて答えられなかったということで、焼き鳥を平らげながら『気くばりのすすめ』を読み返してみると、こんなことが書いてあったのです。

食事が終わると日本人は「ごちそうさま」という。この言葉もまた日本人の心をよく表している。漢字では“御馳走様”と書くが、「馳」も「走」も「走る」ことを意味する。
つまり、
「こんなおいしい食事をくださるために、どんなに大勢の方々が走り回ってくださったことでしょうか」
という感謝の念が「ごちそうさま」なのである。
(同、170項)

「で、お昼をごちそうになった場合は、ビューティフル・ランチって言えばいいんだろ?」

満面の笑みで社長が訊いてきます。そう、その通りです。「いただきます」も「ごちそうさま」も、なかなか一言で外国語に翻訳しにくい日本語ですが、由来や意味を知っていると、グッと説明しやすくなりますよね。あとは顔の近くを見て喋るだけ、まじまじ見つめなくてもいいんです。大丈夫ですよ社長。シャイなまま、コミュニケーションしていきましょう。

沈黙にベストセラー、それではまた次回。

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髙畑鍬名(たかはた・くわな)
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