2017/04/13 公開

英語に強くなりたいオジサン -東京五輪前夜編 -

沈黙にベストセラー その4

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前々回、「昔はよかったオジサン」が「700年前から変わってないオジサン」に変貌した夜のことを書きました。今回はそのオジサン(50歳、編プロ社長)が「前回の東京五輪から何の進歩もしてねえのか……」と絶句する話です。

2020年の東京五輪まで、あと3年。そこかしこでオリンピック案件が動き出している昨今、私もお世話になっている編プロの社長に呼び出され、リサーチの仕事を持ちかけられました。前回のオリンピック、つまり1964年のオリンピックの前に流行したものを書き出してほしい。テレビ、映画、本。その当時ヒットしたものを分析して、オリンピック前の気分を再パッケージしたら売れるんじゃないか。だから君には、それが実現可能な企画なのかリサーチしてほしい。

そんな相談を受けたのが三月の頭のこと。おもしろそうな話だと思い、さっそく当時のベストセラーに絞ってリサーチをしました。調べれば調べるほど、当時の状況と2017年の現在が重なるように思えてきます。

たとえば前回の東京五輪の一年前、1963年には『危ない会社』という本がベストセラーになっています。50年以上前にも、ブラック会社があったのでしょうか。こんなことが書いてあります。

「人間であれば、自分が病気になったり、瀕死の重態になれば、ものすごい苦痛を訴える。しかし、会社は病気になっても、黴菌がはびこっていても、経営者も、サラリーマン社員も、まったく苦痛を感じない。だから、必要な処置をだれもとろうとしない。瀕死の重体になって、ようやく経営者はあわてだす」
(卜部都美「危ない会社」光文社カッパブックス、1963年)

50年以上前の本ですが、書かれていることは2017年にも通用します。いや、むしろ、今ではブラック企業に務める人間が「ものすごい苦痛」を訴えることができなくなっているので、状況は悪化しているのかもしれません。

さて、ひととおり調べをつけ、かんたんに企画書をまとめてから、社長のところに持っていきました。編プロの呼び鈴を鳴らすと、出迎えてくれたのはインドネシアからの留学生のハヤナさんでした。出先での打ち合わせが押しているようで、社長の姿はありません。

社長が戻るまで、ハヤナさんと雑談をします。先月からここでバイトを始めたハヤナさんは、お父さんが日本人で、お母さんがインドネシア人。かつて私がこの編プロでバイトをしていたように、海外セレブのゴシップ記事を翻訳しているのでした。一番得意なのはインドネシア語、次に英語、日本語はまだまだです、とのこと。私も父がアメリカ人で英語OKだったので、じゃあ英語でしゃべろうかという流れになって、youtubeでインドネシアのヒップホップを聴いているところに社長が帰ってきました。ドアに立つ社長の表情は硬く、私とハヤナさんが英語で盛り上がっている様子に、悔しそうというか、少なからずショックを受けているように見受けられます。しかしハヤナさんはそんなこと気にすることなく「お昼いってきまーす」とリュックを背負って出ていきました。

部屋に残された私と社長の間に沈黙が流れます。沈黙の意味合いを察することができたので、社長がテーブルについてから、企画書ではなく、一冊の文庫本を手渡しました。岩田一男による『英語に強くなる本』です。光文社カッパブックスが誇るこの1961年のベストセラーは、発売3か月で100万部を売り上げました。海外への渡航が自由になり、東京五輪まで3年という時代が生んだ英語本の怪物的な大ヒット作です。

「英語に『強くなる』ってのが面白いな。『話せるようになる』とか『できるようになる』じゃないんだな」

「オレンジの付箋、読んでみてください。『強くなる』ための心構えが書いてあります」

「日本に来ている東南アジアその他の留学生は、英語を使うのを少しもおっくうがらないで、よく話します。聞いていると、文法的には必ずしも正確でなかったり、表現が少しおかしいと思われることもあります。しかし、気おくれせずに堂々と語り、言っていることもわかります。文法意識過剰にもなっていません」
(岩田一男「英語に強くなる本」ちくま文庫、2014年、198頁)

社長は深くうなずき、次の付箋へとページをめくります。

「私たちは、日本語をしゃべっている時、まちがいをしないでしょうか。いや、そんなことはない。していますよ。気がつかない誤りや、うっかりした誤りを入れたらずいぶんあるでしょう。しかし、あまり気にしないではありませんか(略)日本語だってまちがうんだ、まして英語は外国語だもの、まちがうのがあたりまえだ、くらいに気持ちを楽にもって、大胆にしゃべり、まちがえましょう」
(同、234頁)

社長は目を大きく開いて「そうか、間違えても平気ってのは『強い』ってことかなのか…」とつぶやきました。

「心構えだけじゃなくて、実用的なことも書いてあるのか?」

「ピンクの付箋、ぎこちない沈黙を避ける方法が書いてあります」

「あいの手の文句をはさむ手もあります。たとえば、Well, let me see.(そうですね)とか、What shall I say? (何と申しましょうか)、as a matter of fact (じつはですね)、I bet you. (たしかに)、Sure thing! (たしかに)、I mean (そのー…)、…if you understand my meaning (おわかりくださるなら)、The trouble is (こまったことはだね)、The fact of the matter is (じつはだね)、などとつけたり、I say, Mary, ……(ねえ、メアリ)とか、Yes, professor.(はい、先生)などと相手の名前や、職名などをはさむだけでも、数秒くらいは浮くでしょう」
(同、253頁)

本から顔をあげた社長の鼻息が荒くなっています。

「ハヤナちゃん、Well, let me see.ってめっちゃ言ってるわ。いや、俺、最近ね、夜、ここ閉めてハヤナちゃんと駅まで歩いて帰るときにね、英語だけで会話してもらってるのよ。What is your favorite ナニナニって質問ばっかりしてんだけどさ、ハヤナちゃん、Let me see.ってめっちゃ言ってるわ! そうですねって意味なのか…あんまり意味ないんだな…」

社長が興奮しながら、ありがとう、という感じで文庫本を私に戻しました。が、私はさらに違うページを彼に読んでもらいたい。

「英語に『強くなる』心構え的には、ここがクライマックスですね」

「同じThank you.にしても、ほんとうに感謝の気持のこもった微笑とともに言われると、その微笑がずっと後までこちらの心に残ります。顔の筋肉一つゆるめず無表情で言われるのでは、すこしもうれしくありません。
なにも、うそをつくことはないのですが、長いあいだ、万事ひかえめに、喜怒哀楽をおもてにあらわさないのが美徳とされ、そのようにしつけられてきた私たち日本人は、思いきって、率直に、感情表出を、口だけでなく、全身でするようにしたら、どうでしょう。少しオーバーなくらいで、彼ら的感覚にはちょうどよいでしょう」
(同、235頁)

「苦手なんだよ…日本語でも感情ないって言われるのに…ていうか、日本人のメンタルって、前回の東京五輪から何の進歩もしてねえのかよ」

社長が肩を落としていると、ハヤナちゃんがランチから帰ってきました。

「はい、ペプシ」

ハヤナちゃんが社長の好きな缶ペプシを買ってきてくれたようです。社長はペットボトルではなく缶のペプシが大好きなんです。これは英語で感情を表出するチャンス! と思って社長に目で合図します。彼と目があって、こちらの励ましが伝わったようです。社長が意を決します。

「Thank you.」

失敗です。真顔でした。微笑には失敗しましたが、ほんとうに感謝の気持がこもっていました。それでいいんです。「強くなる」というのは、間違えても平気になることなんですから。私たちはどんどん間違えて、強くなっていきましょう。

沈黙にベストセラー、それではまた次回。


photo by Tony Hall

髙畑鍬名(たかはた・くわな)
映画監督。監督作『FUCK ME TO THE MOON』がDMMにて配信中。タイトルが気になった方は、ぜひチェックしてみてください。→http://www.dmm.com/digital/cinema/-/detail/=/cid=5492moosic00002/
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