2017/03/22 公開

抱擁家族のススメ ー HOW TO SEX編 ー

沈黙にベストセラー その3

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その昔古本屋でアルバイトしていたときの先輩が、先日めでたく結婚しまして、結婚式で流すための「二人の出会いの再現VTR」を作りました。結婚式当日も、挙式から二次会まで、たっぷりビデオカメラをまわしました。先輩は私の3歳年上で、昭和56年生まれの36歳。2年前に独立して、阿佐ヶ谷で小さな古本屋を経営しています。今回は、もろもろの撮影の御礼に渋谷で焼き肉をおごってもらった時の話です。

くるんと丸まるホルモンをつつきながら、最近おもしろかった小説の話をします。私が古本屋をやめたあとも先輩とはちょくちょく会って小説の話をしてきました。お互い、心おきなく小説の話ができる数少ない知り合いなんですね。飲み始めたのが早かったのもありますが、十時前には店をでました。煙もくもくの世界から、冬の澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んで駅へと歩きます。けっこう飲みましたが、この澄み切った空気をツマミに、ウイスキーとか飲みたくなる感じです。先輩も気分が良いのか、本屋に行こうと言い出しました。

和気あいあいと本屋に辿り着いたそのとき、先輩に異変がおきました。その本屋に入ってすぐの一番目立つ場所に設置された本棚に、先輩は目を奪われたようです。棚には、帯に「10万部突破!」と書かれた本がズラリと並んでいます。先輩はその表紙を見つめ、言葉を失っています。痛々しく凍りついた顔のまま、沈黙が訪れます。さっきまで、あんなに楽しかったのに。

「もう一軒、いかないか?」

そう言って先輩は本屋を出て行ってしまいました。追いかけて本屋を出ると、有無を言わせない背中で先輩は先へ先へと歩いていきます。少し駆け足で追いついて、隣に並んで歩きます。どこに行くかは分からないけど、もくもくと歩き、沈黙が冬の澄み切った空気を濁していくような気がしました。

「さっきの本、どう思った?」

立ち飲み屋に入ってからも、しばらく黙っていた先輩が口を開きました。

「『夫のちんぽが入らない』ですか?」

「どう思った?」

「とぼけた味わいの切実な私小説で最高でしたよ、ただ、ちんぽ入るどうこうよりも学校の先生とか母親との関係に悩んでる女性に―」

「あ、そういうことじゃなくて……」

私の話をさえぎったわりには、何かを言いたそうだけど、言い出せない、そんな感じの表情で、先輩がまた黙りこみます。

「……俺、まだ童貞なんだよ」

そう言って先輩はハイボールを飲み干しました。先輩は自然な感じで壁に並んだメニューを眺めているつもりでしょうが、ちょっと遠い目になりすぎていて、心ここにあらずなのが分かります。

私も私で、混乱しました。結婚式は3ヶ月前、先輩と奥さんが出会ったのは半年前、そんなスピード感のある結婚をしておいて、先輩は今も童貞だということ。それはかなり意外でした。というのも、先輩の結婚式で流した「出会い再現ビデオ」の込み入った事情を知っているからです。

再現ビデオでは、奥さんは、先輩の経営する古本屋にときおり来るお客さんとして描きましたが、本当は、この二人は出会い系サイトで知り合ったのです。別にそのこと自体は問題ないんだし、「出会い再現ビデオ」そのものを結婚式に組み込まなければいい話で、わざわざ嘘の出会いを作り上げる必要もないのになあ。先輩から再現ビデオの相談をうけたときに、そう思いました。

「向こうの親御さんにも、そう説明しちゃったからさ」

そう言って再現ビデオの依頼をしてきた先輩が、童貞とは思いもよりませんでした。下品な話で恐縮ですが、スピード婚のスピードは体の相性が抜群にいいから出るものだと思い込んでおりました。

先輩は遠い目でメニューを眺めたままなので、店員さんをつかまえて二人ぶんのハイボールと焼き鳥を適当に頼みました。恐る恐る先輩に話をきくと、童貞であることは奥さんには伝えずに、結婚する前から何度もセックスに挑戦しているものの、いまなお「入らない」そうなんです。だから本屋で『夫のちんぽが入らない』を見て凍りついたようです。

ライターの仕事をしていて良かったな、そう思った瞬間でした。先輩と同じ悩みが40年前のベストセラー『HOW TO SEX : 性についての方法』でも取り上げられていたことを伝えます。

【なぜうまく入らないのか?】
結婚して二週間になるのに、どうしてもうまく挿入できない。(略)童貞で結婚したので、女性の性器というものをみたことがないため、場所がよく分からないのが原因ではないかと思い、いやがる彼女を説得して、灯りをつけて外陰部というところをよくみてからやってみたけれど、いま自分のペニスが彼女のどこに当たっているのかさっぱり見当がつかない。
(『HOW TO SEX : 性についての方法』奈良林祥、ベストセラーズ、1971年、76頁)

「本当だ、ほとんど俺と同じ悩みだ」

私のiPad を読みながら、先輩が言いました。古今東西のセックス本について調べていたときにスキャンしたPDFが、思わぬ形で役に立つんですね。先輩はどんどん読んでいきます。

1971年に発売されて計250万部の大ヒットを記録した『HOW TO SEX : 性についての方法』は、裸の男女のカラー写真と、愛嬌のある性器のイラストで性行為を解説していくスタイルの本ですが、なんといってもその目玉は著者の「言葉使い」にあります。Q&A方式で性の悩みに著者が答えていくのですが、医学博士の奈良林祥(ならばやし・やすし)は、切実な性の悩みに、軽妙な返しをしていくのです。

答え
ペニスの先というのはおよそ、そこでものを触って、“ああ、これは百円玉だな”なんてことを感じとることもなく育った場所である。そのペニスの先が、たかが結婚したくらいの理由で、“あっ、これ小陰唇”“ここ処女膜”と、敏感に感じ分けられるわけがない。
じゃ、どうしたらいいのか。馴れである。訓練である。人間の行動は本能ではなく、すべて学習体験の積み重ねによって、作り上げられるもの。
(略)馴れてくれば、眼のないはずのペニスの先端が、まるで三つ眼小僧なみに女の外陰のあの場所この場所を感じとれるようになるからご安心。(同、77−80頁)

「この人、ふざけているのかな?」

先輩が怪訝そうな顔で私を見ます。

「いや、まあそう言わずに最後まで」

「ふざけてるだろ絶対、ペニスの先端が三つ眼小僧って何だよ」

「そこのあとが解決パートなんで」

ただ、察するところ、あまりにも男性の側がいきり立ちすぎて、女性側の準備態勢ととのわないうちに遮二無二突進しているように思われる。ペニスがあり、膣があればそれで性交オーライというものではない。ペニスに勃起が必要であるように、女性の性器にだってペニスを受け入れるにふさわしいだけの身支度が必要である。
どういうことかというと、性興奮が高まるにつれて、大陰唇や、小陰唇が左右に哆開(しゃかい)、つまり、“さあ、お入りくださいペニス殿”という具合に、開くという状態になる。(同、80頁)

「絶対ふざけてるし、こんなことは俺にもわかってんの」

そう言って先輩はiPadを私に返しました。

「そもそも、なんで、そんなに焦っているんですか?」

そう訊くと先輩はまた黙ってしまいます。

「結婚してるんだし、じっくり、なんというか……」

「……こういうこと」

そう言って先輩が彼のスマホを私に向けました。顔が赤くなっています。

週刊誌の記事のようで、その見出しには、【平成を童貞のまま駆け抜ける!? 昭和生まれの中年男性】と書いてありました。

「短歌になってますね」

「そこじゃねえ!」

いやいや、そんな理由で焦っているなんて! そこじゃねえ、はこっちの台詞ですよと。平成のうちに童貞を捨てたい、なんて馬鹿じゃないのか!?

iPadをめくって、さきほどとは別の場所を表示して先輩に渡しました。

「ここ、大事なこと書いてあるんで読んでください」

性交はよろこびの起爆点としてあるものであって、ペニスを膣にいれるためにあるんじゃない。よろこびを思い切り表現し合い、思う存分うれしがる二人が、とどのつまり到達するのが性器の結合なのである。(略)
うれしいと、人間、どんなことになると思う。人前をはばからず飛び上がってみたり、逆立ちしたくなっちゃったり、やたらにまわりにいる奴の肩を叩いたり頭を叩いたり、中には、泣いちゃう奴だっているでしょう。(同、57頁)

「先輩、結婚式で逆立ちしてましたよ、泣いてましたよ」

「……うれしかったからな」

そう言う先輩の顔、表情がすこし柔らかくなりました。

「……どうしたらいいのかな」

「ハグです」

「ハグ?」

たかが抱擁と馬鹿にするなかれ。可愛さ余って憎さ百倍なんて言葉もあるように、愛することが深ければ深いほど、どんなにしても自分の気持ちをすべて伝えることはできないようなもどかしさを覚え、そのもどかしさが思わず荒々しい扱いになって現れることがある。それが抱擁という形となって示される時、それは底力のある愛撫となる。(同、59頁)

「……底力のある愛撫、いい言葉だな」

「ふざけてなかったでしょ?」

「ごめん帰るわ」

「え?」

先輩は一万円おいてコート着て立ち飲み屋を出て行きました。

「電車乗った。今日はありがとう。ハグ、だな」

頼んでしまった焼き鳥の串、二人分ひとりで食べていると、先輩から短いメッセージがきました。そうです。今夜いいハグをしてください。セックスがうまくいかなくても、一緒にいることをOKしてくれる相手なんですから。夫のちんぽは入らない。でもそこに、底力のある愛撫があれば。たかが抱擁と馬鹿にするなかれ、です。

沈黙にベストセラー、それではまた次回。


photo by DenisenFamily

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髙畑鍬名(たかはた・くわな)
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