芥川賞に気をつけて ―なぜ芥川賞は学園小説に冷たいのか?―

沈黙にベストセラー その1

2017/01/13
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先日、波長のあわない上司とランチに行ったんですね。話すのは苦痛だけど、うまい定食屋は知っているタイプの上司です。そのとき連れて行かれたのも人気の定食屋さんで、常に満席、さいわいにして並ばずにすんだものの、料理がぜんぜん来ないんです。お水の入ったコップ見つめながら、沈黙が沈黙を飲み込むように沈黙が続いて、困る質問の大定番「最近なんか面白いことあった?」と訊かれました。
まずは素直にちょっと考えます。飼い犬が交番の前で必ずオシッコするから痛快ですね、権力の犬。みたいに、本当の気持ちを話せば問題なかったんですが、好きでもない上司に自分の話はあまりしたくありません。
そうですねえと時間をかせぎ、とりあえず時事ネタとして「芥川賞もうすぐ決まりますね」と言ったんです。波長のあわない上司は、いきなり何の話だ、という顔をしてから、芥川賞とまったく関係のない話を始めました。

「最近さ、娘の気持ちがわからないんだよな。避けられてるわけでもないんだけどよ。高校生になってから、どんな会話していいか……。奥さん忙しいときにファミレスで夜飯いっしょに食うんだけど、間が持たねえんだわ」

急にそんなシリアスな打ち明け話をされても、余計に沈黙しちゃうわ! と思いつつ、この人も会話の間が持たないって悩むんだな、現状の俺と同じじゃん、と感慨にふけっていた瞬間です。ひらめいて、叫んでしまいました。

「芥川賞が悪いんです!」

上司は、キョトンとしました。

「はあ?」

「娘さんの気持ちがわからないのは芥川賞が悪いんです」

「意味わかんねえけど」

「高校生活を描いた小説が、ちかごろ芥川賞とってないから娘さんの気持ちがわからないんですよ」

「何の話だよ」

「だって、『蹴りたい背中』が最後じゃないですか!?」

「あ、きたきた」

テーブルにレバニラ定食が二つやってきました。うまそうです。レバもニラも輝いています。本当は麻婆定食がよかったんですが、時間に余裕がないので上司と同じものを頼みました。とにもかくにも、ベストセラーの話をしているうちに沈黙は埋まりましたので、作戦は成功です。レバニラ定食もおいしかったです。

デスクに戻って、いろいろと検索すると予想的中でしたね。『蹴りたい背中』を最後に、もう13年も学園小説は芥川賞をとってないんです。学園小説というのは、ここでは高校生が高校生のまま話が終わる小説、くらいの意味ですね。中学生も、しかり。これは大問題だと思います。ちなみに、1月19日には156回の芥川賞が決まりますが、残念ながら候補の中に学園小説はありません。

高校生が主人公の小説が芥川賞をとると大ベストセラーになる傾向があります。石原慎太郎の「太陽の季節」がその流れを生んで、のちには庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』もベストセラーになりました。

子供の気持ちがわからない、というのは、どの時代の親もそうですよね。ただ、若者の気分が濃厚に描かれた小説がベストセラーになることで、それを読んだ親世代は手がかりを得ていたと思うんです。学園小説では「恋」と「友情」が描かれますから、ベストセラーを読んだ親世代は、子供たちの思考回路に触れたような気持ちになったのではないか、と。

友情と言うことにせよ、彼等は仲間同士で大層仲は良かったが、それは決して昔の高等学校の生徒達に見られたあのお人好しの友情とはおよそかけ離れたものなのだ。彼等の示す友情はいかなる場合にも自分の犠牲を伴うことはなかった。(略)そして更にこの友情を荒々しいまで緻密にして行くのは、その年齢にまかせてとは決して言い切れぬ、彼等の共同して行う狼藉と悪事を通じて結ばれる共犯者の感情だった。(「太陽の季節」(『太陽の季節』、新潮文庫所収、35頁))

これが「太陽の季節」で描かれる「友情」です。太陽族という社会現象を巻き起こした1955年の若者の気分ですね。若者が、上の世代に反発しています。昔の「友情」と俺たちの感覚は違うんだ、という宣言です。「太陽の季節」で描かれた激しい友情は、1969年の『赤頭巾ちゃん気をつけて』では影をひそめます。

つまり親友とか友情とかいうと、すぐよくテレビの青春ものなんかに出てくる、なんていうか、すぐ肩を叩き合ったり大声で励まし合ったり一緒にお風呂に入ったりするようなのがあるけれど、ぼくたちの場合はどうもそうカッコよくいかない。つまり日比谷には、ぼくと恐らくよく似た考え方感じ方をしていると思われるのが多いのだけれど、ぼくにも、これは恐らく一生のつきあいになるなと感じられる連中が数人いる。ところがこういう連中とは、なんとなくお互いに気まずいようなところがある。つまり、お天気の話のようなごく当たりさわりのないみたいな話をなんとなくモソモソやったり、逆に冗談ばっかり言ったりしているような、はたから見たら恐らくなんとも表面的というかよそよそしいみたいなつきあい方になってしまう。(『赤頭巾ちゃん気をつけて』、中公文庫、106−107頁)

ここでも若者が上の世代にNOをつきつけています。『赤頭巾ちゃん気をつけて』でも、上の世代の「友情」と自分たちの感覚はまったく違うんだ、と強調されているんですね。テレビの青春もの的な友情というのは、おそらく「太陽の季節」の流れを組んだ「声の大きい友情」のこと。『赤頭巾ちゃん気をつけて』に出てくる友情はカッコよくなく、モソモソしています。
時代が変わり、若者の友情の形も変わります。はたから見たら、表面的にしか見えないのに、一生のつきあいになる予感があるわけです。親世代からすると奇妙な友情に感じるかもしれませんが、この作品を読むことで、子供たちの「新しい友情の形」に触れることができたのではないでしょうか。

「太陽の季節」では、悪事を通じて「狂気」を共有し、共犯者としての友情がありました。『赤頭巾ちゃん気をつけて』で描かれるのは、モソモソした、まったく違う形の友情でした。1969年というと大学紛争の時代ですから、暴れる若者たちがメディアを騒がせるなか、それとはまったく別の、これまでは描かれなかった若者の気分が『赤頭巾ちゃん気をつけて』には濃厚に出ているように思います。

親世代がベストセラーとなった学園小説を読むときには、「そうか、そうか、最近の若者は、こんな感覚なのか」と、若者の「友情」と「狂気」の描写によって、ある意味では安心していたと思うんです。自分たちが若者だった頃との感覚の違いや、友情の変化した形を読みとることで、子供たちの内面にアクセスできるわけですね。

ところが時代がうつり21世紀。2004年に芥川賞をとった大ベストセラー、綿矢りさの『蹴りたい背中』はどうでしょう。この小説の特徴は主人公が孤立していることです。仲間やグループを嫌う「余り者」の感覚が描かれています。「余り者」の物語には、これまでみてきた小説に出てきた「声の大きい友情」も「モソモソした友情」も登場しません。一見すると「狂気」の気配もありません。

『蹴りたい背中』で注目したいのは、今では「スクールカースト」と呼ばれる教室の中の階級制度が描かれているところですね。主人公は高校一年生で、教室内の相関図を描くことはできますが、その中には加わりません。そんな「余り者」を主人公にしたこの小説は、じっさいに学校で孤立している生徒を数多く救ってきたと思います。では、親世代にとっては、どうでしょうか。自分の娘や息子が学校でどんな時間をおくっているのか、この小説に手がかりを求めても、わかりやすい「友情」や「狂気」は描かれていません。そのため、読んでもまったく安心できません。安心できないどころかワケがわからなくなると思います。

仕事を終え、家に帰って、お風呂に入りながら『蹴りたい背中』を読み返したんですが、「波長の合わない上司」のような、娘のことがわからないお父さん目線でこの小説を読んだときに、衝撃をうけたのは次の場面です。
体育館に集められて座らされ、主人公たちはスライドを鑑賞させられています。目の前に座っている「絹代」は主人公と同じ中学に通っていた女の子です。中学時代は同じグループでしたが、現在はお互い意識的に距離をとっています。少し長いですが、すごいシーンなので読んでみてください。

すぐ前では絹代のグループの男子たちが、グループを盛り上げようとして、スライドに必死に茶々を入れている。つまらないことばっかり言っているけれど、時々、本当に時々なんだけれど、おもしろいことを言ったりもする。でもそんな奇跡が生まれるのと同時に、私の苦しい自分との戦いも始まってしまう。頬杖をついて手のひらでほっぺたと口を歪むほど押さえつけ、眉間に力を入れて、仏頂面をキープし、何がなんでも噴き出さないように努力をする。高校に入ってからというもの、何度笑いをこらえたことか。笑うってことは、ゆるむっていうことで、そして一人きりでゆるむのには並々ならない勇気がいるものだ。もし周りにびっくりした目で見られたりしたら、たまらない。笑いをこらえている時って、むやみに腹筋がひくついて、切ないんだ。丹田というのかな、あの臍の下辺りに力を入れるのがコツなんだけれど、これを数え切れないほど繰り返してきたから、私のお腹には、“笑いこらえ筋”がついているかもしれない。(『蹴りたい背中』、河出文庫、92—93頁)

高校生が主人公のベストセラー小説を手に取って、どんな青春が出てくるのかなと思ったら「笑いこらえ筋」ですからね、親世代は戸惑ったことでしょう。とはいえ、これが2004年の若者像だと言い切ると、やはり反発も出るかと思います。とにかくここで大切なのは、大ベストセラー小説の主人公が「太陽の季節」で描かれた人気グループから、余り者の「笑いこらえ筋」へと50年かけてバトンタッチしたことです。上の世代の「友情の形」にNOをつきつけるのではなく、グループで過ごすことへの違和感が描かれたことは、大きな変化だと思います。

「太陽の季節」の14年後に『赤頭巾ちゃん気をつけて』が登場して大ベストセラーになりました。『蹴りたい背中』は2004年、寄寓にも13年前の小説ですので、2018年あたりで、新しい学園小説が芥川賞をとってほしいですね。なぜ芥川賞にこだわるかというと、純文学では主人公の内面を延々と描写してもOKだからです。じっさいに「太陽の季節」でも『赤頭巾ちゃん気をつけて』でも、主人公の気持ち・心の声を描くために、平気で物語の進行をストップさせています。物語のテンポはすごく悪くなるんですが、そこが大事な気もするんです。いやになるくらい内面描写がたっぷりあるので、親世代は若者の気持ちがわかったような気がしたんじゃないでしょうか。

『蹴りたい背中』は素晴らしい小説ですが、2004年、ツイッターもLINEもない時代の物語です。もう2017年なんです。若者による、若者およびその親世代のための、新しい若者像を描いた学園小説が芥川賞をとって、ベストセラーになることが待たれます。
そうならないと、私と波長の合わない上司がいつまでたっても娘の気持ちがわからない。ひとまずは上司の娘さんが「笑いこらえ筋」について、どう思うか知りたいので、次、ランチへ行くときには『蹴りたい背中』をプレゼントしようと思っています。そしてもし可能であれば、次こそは麻婆定食が食べたいです。

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髙畑鍬名(たかはた・くわな)

映画監督。監督作『FUCK ME TO THE MOON』がDMMにて配信中。タイトルが気になった方は、ぜひチェックしてみてください。→http://www.dmm.com/digital/cinema/-/detail/=/cid=5492moosic00002/