【前編】「投稿時代は挫折すら感じられるレベルにいなかった。いまも小説家として根を張れた感覚がない」朝井リョウ(小説家) | マネたま

【前編】「投稿時代は挫折すら感じられるレベルにいなかった。いまも小説家として根を張れた感覚がない」朝井リョウ(小説家)

失敗ヒーロー!

2018/04/24
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華々しい成功の裏には、失敗や挫折がある。その失敗エピソードから成功の秘訣をヒモ解く『失敗ヒーロー!』。今回ご登場いただくのは、『桐島、部活やめるってよ』で20歳にして華々しく小説家デビューを飾り、就職活動を舞台にSNS世代の精神性を書いた『何者』で直木賞を受賞された朝井リョウさん。独自の世代観を物語に絶えず反映させてきた朝井さんの小説家としてのこだわりとはどんなものでしょうか。朝井リョウさんの哲学、そして仕事との向き合い方について伺ってきました。

宇宙飛行士になりたい、くらいの距離感で小説家を夢見ていた

――まずは小説家を目指したきっかけをお伺いしたいと思います。なんでも、小学生の時に既に新人賞に応募されていたとか?

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朝井リョウ(あさい・りょう)
1989年、岐阜県生まれ。早稲田大学文化構想学部卒業。2009年、『桐島、部活やめるってよ』で第22回小説すばる新人賞を受賞しデビュー。11年『チア男子!!』で第3回高校生が選ぶ天竜文学賞を、13年『何者』で第148回直木賞を、14年『世界地図の下書き』で第29回坪田譲治文学賞を受賞。他の作品に『星やどりの声』『もういちど生まれる』(第147回直木賞候補)『少女は卒業しない』『スペードの3』『世にも奇妙な君物語』『ままならないから私とあなた』『何様』、エッセイ集に『時をかけるゆとり』『風と共にゆとりぬ』がある。最新刊は解説に音楽家・つんく♂を迎え、加筆修正を経て文庫化された『武道館』(文春文庫)。

朝井リョウ(以下、朝井):当時は、小説を書くというよりは絵本や童話の真似事をしている感覚でした。私には三つ上の姉がいるんですが、姉が図書館で借りてきた本を私も読んだり、姉の習い事についていって私も習い始めたり、何でも真似をしていたんですね。あるとき姉が自由帳に物語のようなものを書き始めたので、私もそれに倣って動物の国を題材にした絵本みたいなものを描いていました。そのうちに我が家にパソコンがやってきて、長い文章が書けるようになり、物語の舞台も動物の国ではなく人間の通う学校になり……やがて、自分が書いた文章を人に読んでもらいたいという気持ちが強くなっていったんです。まずは友達や学校の先生に見てもらうことから始めたのですが、それでは飽き足らず、小学校六年生の頃には出版社の新人賞に投稿し始めていました。とにかく大人に読んでもらいたかったんだと思います。

――でも、一般的に子供の頃に目指してた夢っていつの間にか現実にぶつかって忘れてしまうじゃないですか? 朝井さんはずっと小説家になりたいという気持ちのまま育ったということですか?

朝井:私は大変幸運なことに大学2年生のときに新人賞をいただいたので、いわゆる“現実” にぶつかる前に世に出てしまった、という感覚があります。また、特に小中学生の頃は「宇宙飛行士になりたーい!」みたいなテンションで「小説家になりたーい!」と吹聴していたので、学園祭で演劇をやるときなんかも周りの友人たちが私に脚本を書かせてくれたりして、周囲の人たちが私の夢に火を点け続けてくれていた、というところもありますね。また、私が中学生くらいの頃は10代の書き手が純文学の新人賞を取りそのまま活躍し続ける、というケースがいまよりも多く発生していて、「自分もその一員になるんだ!」みたいな根拠のない自信のようなものを抱いていたことも大きいかもしれません。綿矢りささんと金原ひとみさんが19歳、20歳で芥川賞を受賞されたとき、14歳の私は「よし、自分も!」なんてバカみたいに奮い立って、ガンガン投稿していましたね。でも、根拠のない自信はありつつも、デビューが決まるそのときまで、宇宙飛行士になりたい、くらいの距離感はずっと変わらなかったです。

――書いては投稿を繰り返しているなかで、デビューに至るまで挫折や苦悩は抱えましたか?

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朝井:新人賞って、1000作前後のなかから1作、2作に選ばれるってことなんです。そうなると、落ちても、「挫折!」「苦悩!」みたいな気持ちを抱くことすらできないんです。そりゃダメだよね、そうだよね、期待した私がバカでした、の繰り返しなんですよ。なので、投稿時代につらかったのは、自分がどのくらいの位置にいるのかもわからなかったことですね。1000作中1000位なのかもしれないし、もしかしたら100位くらいなのかもしれない。暗中模索している感じなんです。そんななか、高校三年生の時に、自分が投稿した作品が初めて一次選考を通ったんです。そのとき、自分に小説を書く才能が全くないわけじゃないんだって思えて、本当に本当にものすごく嬉しかった。新人賞受賞や直木賞受賞より嬉しかった出来事かもしれません。それから大学進学に合わせて上京したのですが、新生活に浮足立ちすぎて、小説を全く書かなくなっていたんです。大学一年生が終わる頃になって、ふと、あと数か月で19歳が終わるな、と思ったんですね。つまり、綿矢りささんが芥川賞を受賞されて、金屏風の前で会見をされた年齢です。どうしよう、自分もあの人たちの仲間入りするんだとか言ってたくせにもう19歳が終わってしまう、と焦り、急いで書き始めた作品が『桐島、部活やめるってよ』でした。初めて一次選考を通ったのが小説すばる新人賞だったので、もう一度そこに投稿してみよう、と。

――デビュー作にはそんなエピソードがあったのですね。じゃあ、割と短い期間で『桐島』は書いたのですか?

朝井:確か、3か月くらいだったと思います。大学一年生の1月に書き始めたものの、小説すばる新人賞の締切は3月末だったんですね。その時点から規程となる原稿用紙200枚以上を新たに書くのは無理だと思い、高校生のときに書いていた短編を引っ張りだして、「全員同じ学校に通っている設定にしよう!」と組み合わせたんです。いま思えば、生意気ですよね。長編の新人賞なのに、連作短編集の形式で投稿するって。そんな感じで、徐々に力をつけてやっと掴んだデビュー、というよりも、自分にどれくらいの力があるかわからない状態がずーっと続いていて、いきなり背中をドンと叩かれて「今日からあなたの文章にお金が発生します」っていう感覚だったんです。なので、新人賞からのデビューの場合、挫折や苦悩が発生するのはそのあとなんだと思います。

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